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ハンユニスから帰還した予備役兵: 「テロ(恐怖)のない家はない」

戦闘、恐怖、そして後に残された生活:ガザから予備役兵たちの声。ダヴィディ・ベン・ツィオン、空挺第71旅団作戦指揮官: 「我々が提供できる最高の人員たちがここにいます。彼らは一つの大きな使命に共に力を合わせています。」


ダヴィディ・ベン・ツィオン 2024年1月4日

ガザの通りを歩く感覚はどのようなものか。最も驚いたこと、そして本国では知られていないこと、知られるべきことは何か。グローブス*1の特別プロジェクトでは自身の生活を後にして戦地に赴いた予備役兵たちの声を伝える。


プロフィール: 38歳、既婚、子供6人、ショムロン地区評議会副議長、シャプラ女子青少年支援団体会長

予備役での役職: 空挺第71旅団作戦指揮官


「ゆっくりと、深呼吸をして、ゆっくりと行動することです。急いでも走ってもいけません。それは敵が望むことです。私たちが彼の罠、爆発物で待ち伏せされた場所に引きずり込まれることです。1日2度、私はカルミ大佐の存在のゆえに神に感謝します。大佐は部隊指揮官として私たちの戦闘を適切なペースで導いてくれています。彼のおかげで敵を破壊し、テロインフラにダメージを与え、私たちの兵士たちを守ることができます。私の2人の弟、イシャイとボアズも同じ師団、第55師団で私と共に務めています。



私たちが南下した時は、我々と予備役で満席のハマー車列だけでした。いまやイスラエル国防軍全体が動員され、吼えるライオンのように戦っています。予備役がこの戦争を主導しており、常設軍の兵士たちはいつも通りよく訓練されており、1948年世代の戦闘精神を保っています。


ガザには電気がないため夜間にはライトを点灯しません。点灯する際も暗いカーテンの後ろで行います。しかし、暗闇は私たちの兵士たちに恐怖を与えません。

私たちの目標は明確です。ナチスのような敵の撃破壊と、私たちの兄弟姉妹の回復です。『ナチス』という表現を使う際、大げさな比喩や悪意のある誇張表現だと考える人もいるかもしれません。それは間違いです。​​


金曜の朝、部隊は地域の浄化作戦に出発します。情報に基づいて特定の家に入り捜索を進めると、ハマス活動家の寝室にたどり着きます。妻のベッドサイドテーブルにはドバイからの香水やメイクアップバッグなど何の変哲もない物があります。彼のベッドサイドテーブルには、就寝前に読むナチスの虐殺者アドルフ・ヒトラーの「我が闘争」アラビア語訳があります。人種理論や最終的解決、ユダヤ人撲滅に関する重要な節をハイライトした、ハンユニス版の「我が闘争」です。


ハンユニスの各家は、住人がテロリストでなければトンネルの入口があり、トンネルがなければ監視ポストや爆発物があり、それもなければ技術的な監視体制や情報収集材料があります。テロの材料がない家は一軒もなく、ハンユニスにテロと『無関係な』家はありません。ハンユニスは、地上も地下もテロの首都です。​​


なぜ恐れないのか?それは『団結』という言葉と、その三つの側面によるものです。最初の団結は、部隊間の専門性と協力です。カハラニ大隊指揮官は、彼のタンク部隊を率いて前進し、彼らの徹底的な砲撃の後に部隊を導入します。工兵部隊も前進し、隠された攻撃用トンネルの露呈作業を行います。爆発物処理隊と特殊部隊は迅速に到着し、トンネルを破壊して前進します。空軍は必要な時にいつでも上空から支援し、敵を発見し、部隊を誘導し、必要に応じて自ら攻撃を行います。​​


2つ目の団結は人々です。私たちの国が提供できる最高の人々がここにあり、ひとつの大きな使命を分かち合っています。宗教的な者、世俗的な者、都会から田舎まで、イスラエル社会のあらゆる人々が共に力を合わせ、隔たりや違いはありません。​​2人の兵士が野外の給水車のそばでシャワーをしているのを見ました。3週間シャンプーもせずに過ごし待ちに待った瞬間でした。一人がもう一人の頭にシャンプーをかけ、蛇口の下で交互に洗っていました。この「団結」こそが、これほど長い期間を乗り越える秘訣です。既に90日も経過しています。​​


最後は家庭内の団結です。家庭での純粋な団結が、最も残酷な敵と戦うためにガザに入る際、力と勢いを与えてくれます。​​まもなく第71旅団は任務を終えて家に帰ります。そこには、いつになったら父親が帰ってくるのかと尋ねる6人の子供たちと妻アイエレトがいます。


私の心には祈りがあります。リリとノア、シリ、アリエル、カフィール、エデン、ロミ、ニムロド、ナアマ、エリキム、ダニエラ、そしてまだハマスの忌まわしい手にある私のすべての兄弟姉妹たちと一緒に帰ることです。それを実現するために全力を尽くさなければなりません。そしてもう一つの祈りは、この『団結』を保つことです。私たちには、彼ら以外の家族も、この地以外の故郷もありません。​​」


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